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東京高等裁判所 昭和42年(う)2680号 判決 1968年6月27日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

控訴趣意第一点について

一まず原判決も、論旨の見解も共に、取引の委託者から商品仲買人に対し売買取引の委託をなすと共に委託証拠金の代用として有価証券を差入れた場合、右代用証券(充用証券)の差入は根担保質権(根質権)の設定にあたると解しているが、当裁判所もこの見解を正当として支持し(昭和四〇年(あ)一〇二七号、同四一年九月六日第三小法廷決定参照)、なお委託者の転質に関する承諾がない場合にも、仲買人は、一定の制限のもとに、いわゆる責任転質をなしうるものと解するものである。

二ところで所論は、原判決において右の場合の根質権は、その「被担保債権がきわめて浮動的であることにともない(委託者に対する債権がすでに一応存在する場合でも、いつそれが減少ないし消滅するかも知れず、またいつ取引関係が最終的に結了してしまうかわからない。すなわち、原質権――根質権の意味――の被担保債権額もその存続期間も不定である)、原質権者の把握している担保価値がそもそも浮動的なもの」であつて、「原質権の最終的に把握する担保価値の存否ないし数額は不定であり、また原質権はいつ消滅するかもわからない。」としても、このことから、直ちにこの種の転質権の性質について「原質権者の把握している担保価値がそもそも浮動的なものであるから、そのような浮動的な担保価値についての転質としてしか許されないものというべきである。」とか、「このような原質権を基礎とする転質権の最終的に把握しうる担保価値の存否ないし数額も不定であり」「きわめて制約された内容をもつ責任転質しか許されない」と解したことにつき論難を加えるので、次に検討する。

原判決挙示の関係証拠によれば、原判示事実のように正金実業株式会社(以下「本件会社」と略称する)は、東京穀物商品取引所その他の商品取引所の仲買人として委託を受け、商品の売買取引をすることを業とするものであつたところ、同会社の代表取締役専務であつた被告人らは、原判示のごとき多数の客から商品取引の建玉委託をうけて、その履行をすることを承諾し、各委託契約を成立せしめ、右委託契約の履行によつて生ずることのある損失などに充当するため、当該客から証拠金代用として有価証券の交付をうけ、右債権につき包括的に権利質(原質権にして根質権)の設定を受けたこと、他方、委託客の転質に関する同意書などがないのにかかわらず、被告人らは本件会社の原判示各金融機関に対する借用金債務の担保として、右有価証券を金融機関に交付して転質権の設定をなしたことを認めうるが、この事実に徴すれば客と本件会社間の前記委託契約の続いている限り、本件会社が客に対してもつ債権の現実の存否にかかわらず、転質権者たる各金融機関は質入債権につき担保権をもつているのであるが、本件会社が各金融機関に設定しうる担保権の範囲内容などは、委託者の転質に関する同意書がないのであるから本件会社の客に対してもつ債権(被担保債権)の現実の発生消滅又は増減につれて発生消滅又は増減するものと解すべきであるから(大審院昭和一四年(オ)一〇八七号、昭和一五年二月二四日判決参照)、この見解にのつとつた原判決の前記判断は正当というべく、論旨は理由がない。

三所論は委託者と本件会社間の根担保質権の設定は、増減変動する被担保債権の瞬間的な時点々々のためにあるのではなく、将来の時点、即ち取引結了時における債権額を担保するためのものであるから、原質権の被担保債権額は、質権の対象たる有価証券の価額の範囲内であり、従つて右範囲内で無制限に転質をなしうると主張するが、この場合についても、責任転質の要件として、転質権の被担保債権額は原質権の被担保債権額を超過してはならないとの制約が働くのであるから、原判決が「弁護人らの主張するように、充用証券の価値の範囲内で無制限に転質ができるものとすると、それは責任転質の名のもとに原質権から独立した自由な質権設定を認めることにほかならないのであつて、委託者に均衡を失した不利益を負わせることになり、原質権設定者の利益を不当に害するおそれのない範囲内でだけ責任転質を許すことによつて、原質権設定者と原質権者との利益の妥当な調整を図つている民法三四八条の趣旨をまつたく逸脱するものであるといわなければならない」と説示したのは、正当というべく、所論は賛同しえない。

四次に所論は、商品取引業界においては、客から受けとつた代用証券をその価額の範囲内で他に担保に供することはやむを得ないという商慣習があつたと主張するが、終戦前にあつては、所論のように、当時の東京株式取引所受託準則二一条の規定文言ないし所論指摘の東京民事地裁判決などに徴するも、株式清算取引について取引員が委託者から受けとつた充用証券は、特別の合意のない限り取引員がこれを他に流用してもよく、しかも返還すべきときは、同種同額の証券をもつて返還しうるとの、いわば慣習が存したことが窺われる。

しかし終戦後の昭和二五年八月制定された商品取引所法は、その九二条に「商品仲買人は、委託者から預託を受けて、又はその者の計算において自己が占有する物をその者の書面による同意を得ないで、委託の趣旨に反して担保に供し、貸し付け、その他処分してはならない」と定めたが(東京穀物商品取引所が昭和二七年九月八日制定した委託契約準則一一条などもこれと同一のことを定めている)、<証拠>によれば、主務官庁は右条文にいう「物」の中には、充用証券も含まれると解した行政指導、即ち委託者の書面による同意があるときは、当該仲買人は売買取引をするための売買証拠金、値洗差金など取引所に対する諸計算金などの支払に充てるため、代用証券を金融機関に担保として提供し、融資を受けることが許されるが、書面による同意がない場合には担保供用処分などをなしえないとの指導をなしてきたものであり、これに反するときは行政処分もなしたこと、本件会社も昭和三八年五月頃農林、通産両省の監査を受けたときに、会社が委託客から預つた充用証券を、客の同意書をとらずに担保に入れた事例の多数あることを発見されて、業務停止処分を命ぜられたが、その直後、各出張所長、外務員に対し、必ず同意書を徴するように指示厳達をしたことを認めうるのである。

これらの事実に徴すれば、被告人がいかに終戦前における、充用証券の担保差入れの取扱を熟知していたとするも、終戦後の商品取引所法施行後は、在来と異なり、委託客の同意書がなければ、充用証券の担保差入れは禁止されておることを知り、特に本件会社が業務停止を受けた以後の本件各犯行当時には、このことを明確に認識しており、また商品取引業界においても、多年に亘る行政指導などにより充分にこれが認識されていたと解しうるのであるから、その頃、本件のごとき担保差入れは、やむを得ないものとして許されているという認識、慣習があつたことを前提とする所論は、その前提を欠くことになり、論旨はすべて理由がない。

控訴趣意第二点について

所論は事実誤認を主張するけれども、原審相被告人池田昇及び被告人の司法警察員に対する各供述調書、被告人の検察官に対する供述調書によれば、(イ)本件会社は、前身の大丸商品株式会社の多額の債務を引きついで発足したのみならず、かねて増資したが、現実の払込が不充分であつて資本金は充実していなかつたため、会社の運営資金を他に捻出しなければならなかつたこと(二)被告人及び外務員らが相場取引をして会社に多額の損失を負わせ、会社はその債務の支払に苦慮していたために、会社の重役たる被告人らは、委託客から受けとつた充用証券を、客の同意書があるとないとを問わず金融機関に担保として差入れて金員を借用し、これを会社の人件費、経理費、また債務の支払などに充当して経営をつづけていたが、右の金融機関の中には、いわゆる町の高利貸業者も含まれていて、その高金利の支払に悩み、特に本件会社は昭和三九年春より窮境におち入り、次々に原判示のごとく本件各有価証券を金融機関に差し入れ、急場を凌いでいたことを認めることができる。

右の認定事実に、前示の控訴趣意第一点に対する説示の三で述べたように被告人は本件各犯行当時に委託者の同意書がなければ充用証券の担保差入れは禁止されていることを明確に認識していたとの事実を加えて考察するとき、被告人は単に商品取引所法に関する行政指導に違反しているとの認識のみならず、原判決説示のように、被告人らは充用証券を金融機関に転質するに際し、委託者の「同意がない場合にこのような担保差入れをすることが違法とされていることを十分承知していたものと認められる」のであるから、右説示は正当であり、もとよりこの点につき所論のごとき事実誤認はなく、論旨は採用できない。

控訴趣意第三点について

所論は、本件担保差入行為には、横領罪を構成するごとき違法性はないと主張するけれども、控訴趣意第一点に対する判断の一で説示したように、本件会社の取締役であつた被告人らが客から商品取引の委託を受けて、充用証券を交付され、これを客の承諾なくして金融機関に対し担保として差入れた場合、本件会社が金融機関に対して設定した転質権は、委託客から設定を受けた原質権の担保する債権額の範囲内に限られること、即ち原判決にいう「制約された内容の転質権の設定としてなされる」ことを要し、これを超過する額を担保するごとき転質権の設定は、その権利を越えるものであつて、違法たるを免れないのである。

しかるに、原判決挙示の関係証拠及び当審における事実取調の結果によれば、(一)被告人らは前示の控訴趣意第二点に対する判断の項で説示したごとき経緯のもとに、本件会社の経営上の窮境を凌ぐために、転質権者たる各金融機関に対し充用証券を担保として差入れるに際し、もとよりこれが転質の性格をもつことを特に自ら明かにせず、また原質権の担保する、その時期の債権額及び原質権の存続期間に全く考慮を払わずに充用証券の当時の時価の七掛ないし九掛に当る割合で計算し、右金額全部に対して担保権を設定したこと、(二)本来、本件会社が委託客から充用証券を受けとるのは、委託契約の履行によつて生ずることのある会社側の損失などに充当するためであるから、客が右の損失に見合う債務を履行しないときに、会社が充用証券を処分するのに便宜なように、予め委託客において、記名式の充用証券に裏書し、又は譲渡証書を添附していたのであるが(このことは転質を承諾同意した意味でないことは、もとよりである)、本件会社は、このような充用証券を転質権者に担保として差入れるに際し、転質権者に対して「債務不履行の場合には通知を要せず、担保物件を処分して債務の決済に充当されても異議がない」との趣旨の約定書を差入れていたこと(本件充用証券は、この約定のとおりに殆んどすべて昭和四〇年三月転質権者により売却され、本件会社の借用金の返済に充てられた)(三)本件担保差入は転質権者たる金融機関からの新規の金員借用のためになされたほか、大部分は、委託者との取引関係が結了したか或は委託者が特に当該証券の返還を希望するために、既に担保として差入れられていた証券を委託者に返還すべく、これと価額の見合う証券の差しかえとしてなされたものであること(もし責任転質の制約を守つて担保差入れがなされているのであれば、本件会社としては、委託契約終了と共に本件会社の要求により転質権者は他の同額の証券との差しかえを条件とすることなく返還を承諾するごとき内容の質入契約を結ぶことを要し、原判決がこの点につき「弁護人らは、本件の場合のように、委託者らに充用証券を返還する必要を生じれば、いつでも他の証券と差しかえることによつて担保差入れ先から返還を受けることができることになつているならば、無制限の転質によつても委託者らになにも不利益は生じないというけれども、他の有価証券との差しかえを条件としてのみ返還を受けられるのであり、被告人らがいかなる場合にも必ず他の証券を都合できるという保障はないのであるから、委託者らの利益を著しく害する事態となることにかわりはない」「金融者が同価値の他の証券とならば差しかえを許すということは、……むしろ無制約の質権が制定されたことを示すのである」と説示しているのは、正当である)(四)本件転質の中には本件会社が委託客のために取引を初める前に充用証券を担保として供したものもあることを認定することができる。

右の事実に徴すれば、被告人らが「制約された内容の転質権の設定」をしたものでないことは明かである。

加えて前示のように被告人らが調達した借用金は会社の人件費、経理費、金利の支払などに充当されたのみならず、前掲証拠によれば、取引所の仲買人のみを対象とし、担保差入れの株の銘柄を指定して日歩二銭七厘の低利で金融をする東繊代行株式会社、東京糖取代行株式会社、東穀代行株式会社からの借用のみでは会社の経営の逼迫をまかないきれず、いわゆる町の高利貸業者から日歩六銭ないし一一銭の高金利の金融を仰ぎ、次第にかさむ金利の支払に追いまくられて遂に会社は倒産するに至つたが、本件各担保の差入れ当時は、遠からず倒産しないとは保し難い時期に属していたことも考慮されねばならないであろう。

従つて被告人らの本件担保差入れ行為は、転質権行使の範囲を越えているのは、もとより自己の占有する他人の有価証券を不法に利用収益しようとしたものというべく、不法領得の行為にあたるから、横領罪を構成することは明かである。

所論引用の広島高等裁判所昭和四二年三月二七日判決(高等裁判所判例集二〇巻二号一二八頁以下)は、商品仲買人が充用証券を転質に供した場合、転質権者が仲買人に融資することなどを主目的とする関門商取代行株式会社で商品仲買人の取引の実情も十分知つており、右転質権の関係においても一応委託者に対し実害を生じないような仕組みにしていた案件につき、横領罪を構成する違法性はないと判示したものであるから、本件事案とは類型を異にし、全く適切でないのである。

従つて論旨は理由がない。

よつて、本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法三九六条により、これを棄却することとし、主文のように判決をする。(河本文夫 東徹 藤野英一)

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